わたし

就職活動を始めて5ヶ月経ちました。

正確には1年と3ヶ月です。大3の4月から公務員試験の勉強も始めていたので。


民間企業は5社選考を受けて、2社内定、1社お祈り、2社選考途中です。


公務員試験は、特別区武蔵野市国税、国家一般を受験済み、3日後には町田市試験、B日程、C日程と受験ができます。


就職活動を始めて、考えることが増えました。自分について、将来について。


"人の役に立つ仕事がしたい"というのがひとつ軸にありまして、いや、お前、人の役に立たない仕事なんてあるんかい、って感じですけど、じゃなきゃサービスも生まれないし、ビジネスも成り立たねえぞといった次第です


じゃあ、どういうことかと


"直接的に関わりを持ちながら自分が人の役に立っていることを実感しながら仕事をしたい"

要するにこんな感じかなと


今まで生きてきて、なりたいと思った職業は

看護師、介護士、特別支援学校職員、薬剤師、公務員、青年海外協力隊、ホテルマン、、、など


対人職業であって、人の対象が必ず、"困っている人"であった訳です。


自分より知識や情報や体力に関して程度が低い人へ何かアクションを起こすことに興味があったのかもしれません。その人たちに必要とされるのは必然だからです。

なので正直、どの職業についても自己承認欲求が付いて回ります。自分が認められていることを常に確認しないと生きていけないのです。なんか、寂しいやっちゃなあ。


じゃあなぜそうなってしまったのか。


なんだかんだ元をたどると全ての性格の根源は家族に起因すると思います。


適性検査でE判定ぶちかまして、凹んでるんですけど、そんな人格形成なんて幼少期の問題じゃないですかあ!


親だけは選べないってのはまさにこのことだと思いました。


サブカルチャーが結果としてなくならない理由も、ヤンキーシティが出版されていっているように、親の文化を子供は否が応でも受け入れてしまう傾向にあるんじゃないかな、親の影響を受けずに育った人はいないんじゃないかな


ってなった時に、


めちゃくちゃ幼少期の家族との経験から今の自分ができてる〜〜〜〜って身をもって納得できました(笑)


これからわたしは否が応でも変わると思います。


良い方向にかはわからないし、悪い方向に変わって行くこともあると思います。


とすると、

これからの経験は、わたしの人格を変えることができるのかな。


根元にあるコンプレックスがなくなることはあるのかな。


寂しい気持ちは消えてなくなるのかな。


少しずつ今の自分は消えて行くのかな。


わたしはきっとまだまだ生きるし、いろんな経験をするし、環境も絶えず変わっていくはずなんだよ。


きっと社会人になってつらいこともあると思うけど、わたしはきっと今の自分じゃなくなると思うんだよ。


変わらない部分と変わってく部分があると思うんだよ。


その変わってく部分に期待していいかな。


今の自分の嫌なところがなくなるように。


もっと自分が好きになるように。


少しの期待を込めて。


少しの期待を込めて。


少しの期待を込めて。


おしまい